宇宙世紀事始め Ⅲ その3
「リノ・フェルナンデス」

 U.C.0074——。

 サイド3、ジオン自治共和国国防軍士官学校に200余名の同期生と共に、ひとりの学生が入学した。
 ルウム共和国出身、リノ・フェルナンデス。
 名前から想起させるようにラテン系のくっきりとした顔立ちのこの青年は、歴史上にその名を残した人物でもある。

 彼の士官学校入学式当日に、遅刻した学生がいた。
 シャア・アズナブル。テキサス・コロニー出身のその青年は、ギレン・ザビの訓辞の最中に講堂に入場してきたのだ。
 彼の顔を、リノは知っていた。ルウムのハイスクール時代の学友だったからだ。
 ハイスクール時代、気さくなシャアとリノはすぐにうち解けて友情を育み、ジオンの士官学校に入学するための情報を集め、共に受験し、合格した間柄だった。シャアは入学式に遅刻してしまうような、ちょっととぼけた愛嬌のある人物だった。しかし、今、リノの傍に座った青年は、緊張感のある厳粛な空気の中であまりに堂々としていた。
 「キミとは同室になるらしい。とんだ腐れ縁だな俺たち」
 シャアに軽口を叩いてみせたリノは、自分を見返す目に少し冷たい印象を受けた。
 「何だか少し変わったな」
 「そうかい? 軍人になるんだ、少しは変わらなきゃ」
 「まあ……な」
 リノの受けた違和感は、姿形がシャアである青年に対して感じるには、根拠の薄いものだった。
 しかし、その直感は正しかったのだ。
 彼は、リノの知っていたシャア・アズナブルではなかった。
 別人がすり替わっていたのだ。

 リノはその違和感を、同室になった生活の端々や、授業や訓練の間で、細かく感じ取っていった。以前と比べても、目の前のシャアは明らかに運動神経がよく、体力も持久力も向上していた。
 ハイスクール時代のシャアが、自分より成績が上位であったことはほとんどない。
 ところが、今、目前のシャアは、全ての科目でオールAという成績を叩きだしている。

 さらにいえば、シャアの瞳の色が違っていたのだ。
 昔はとび色だったのに、今は青い瞳なのだ。シャアからは「宇宙線にやられた。バイザーをしていないと失明するそうだ」と説明されたが、そんな疾患は聞いたことはない。しかし、学校側が認めているのだから、その通りなのだろうが。

 ただ、もし彼が別人であれば、違和感の説明もつくのだ。

 リノは、模擬戦訓練時の慌ただしさに紛れるタイミングで、シャアにカマをかけてみた。
 「シャア、思い出すな。ハイスクールでやったルナボールの決勝さ。あの時も、お前が先頭を走ってた」
 「ああ、そうだったな」
 シャアは何気なく相槌をうった。しかし、その回答こそ、リノの確信に裏打ちをした。
 このシャアは、ハイスクール時代の、あのシャアではないのだ——。
 そんな試合は、無かったからだ。

 では、誰だ? 誰が彼に成り代わったのか?

 リノは、その模擬戦の前に、すでにシャアのルームメイトではなくなっていた。
 シャアを気に入ったザビ家の御曹司ガルマが、同室者となったからだ。
 シャアが本当は何者か? ごく身近にいて観察する機会は減ってしまった。けれど、リノは諦めなかった。

 目の前にいるシャアが何者か?
 答えはおそらく、出身であったテキサス・コロニーにあるだろうと考えた。

 そして、テキサス・コロニーに、シャアと瓜二つだったエドワウ・マスという青年がいたことをリノは突き止めた。
 エドワウは大富豪マス家の息子で、一家で地球から移住してきたことも分かった。しかも、4歳違いの妹と共に、マス家の養子だという。
 地球に暮らしていた頃の情報は、はっきりいってよく分からなかった。
 ただ、アンダルシアに住んでいた養父のテアボロ・マスの下に、かの高名な思想家ジオン・ズム・ダイクンにかつて仕えたという「ジンバ・ラル」の名前を見つけた時に、リノは、壮大な歴史の一端を知る機会を自分が得た、ということを知った。

 かつてのムンゾ自治共和国から、ジンバ・ラルの名前が消えたのは、ダイクンの死後、わずかな時間の後だった。
 表舞台から同時に消えた人間は他に3人いた。
 ダイクンの妻と呼ばれたアストライア、息子のキャスバル、娘のアルテイシアだ。
 当時のダイクンの葬送に参列していた母子3人の姿は、ニュース映像を調べたときに見たことがあった。
 リノは、キャスバルという名の少年の瞳が青いことに気付いた。
 そして、その青い瞳の少年の面差しは、どことなく、あのシャアに少し似ていた。
 ハイスクール時代に、テキサス・コロニーの生家の前で撮られた子供のシャアと家族の画像を見たことがあったが、その子供のシャアに青い瞳の少年はやはり似ていた。

 そこからは、リノの推論だ。
 リノは、このキャスバル少年が、妹や共に地球に亡命したという仮説を立てた。ザビ家の魔手を逃れてのことだろう。ザビ家とラル家の対立のニュースは、当時の映像を調べるなかで幾度か見たからだ。二人の子供を連れて、ジンバ・ラルはテアボロ・マスを頼ったのだろう。
 そして、ジンバ・ラルは、アンダルシアで死んだらしい。強盗か何かに屋敷を急襲されたと当時のニュースは伝えていたが、本当のところはザビ家の仕業だったかも知れない。

 そしてエドワウは、入学式の少し前の旅客船事故で不慮の死を遂げていた。
 が、事故死したのは、エドワウではなかった。
 死んでいたのはシャアだったのだ。

 友人の死を悼みながら、リノは軽い興奮を憶えずにはいられなかった。
 ダイクンの息子が身分を隠し、ジオンに入国したのだ。しかも今はガルマ・ザビの友人という位置を占めている。
 もし、目の前にいるのがシャア=エドワウ=キャスバルであれば、その目的は「復讐」ではないのか?
 ダイクンの理想を実現するために、亡国の王子が故国に潜入する。
 それを知っているのは、自分だけなのだ。

 リノは、ダイクンの思想に傾倒していた。スペースノイドの利益のために、アースノイドとは対決すべきという心情、正義は理解できるからだ。それを実現する近道にと、スペースノイドの中でも反連邦の急先鋒であるジオンの軍人を目指していた。
 だが、ザビ家の後ろ暗い噂は、あくまで噂ではあるが、容認できるものではなかった。
 代わりにダイクンの息子が目の前にいるというのなら、秘密を共有し、彼を支えようとリノは密かに決心した。
 シャアの良き友人、本当の同志になれるのは自分だけだ。

 リノは、そんな決意を持って、シャアに自分が秘密を知っていることを打ち明けた。
 「ダイクンを毒殺したザビ家は打倒すべきだと思っている! 協力させてくれ!」

 U.C.0077——。
 200余名の学生達が決起した「暁の蜂起」の後、リノ・フェルナンデスの遺体は連邦軍の61式戦車の残骸付近から見つかった。
 遺体の一部をDNA照合した結果、判明したのだ。

 シャアは、自身の正体を知ったリノを葬った。
 リノがもし、秘密を抱えたまま生き続けたならば、いつかキシリア機関が、シャア=キャスバルということに辿り着く可能性を予測したからか?
 自身の生存がほかに漏れてしまえば、妹セイラことアルテイシアの身辺を脅かすことになる、という懸念を抱いたからか? 真相は不明である。

 リノ・フェルナンデスの名前は「暁の蜂起」に身を捧げた学生達の碑文に刻まれることになった。
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