宇宙世紀事始めⅤ その2
「シャア専用ザクⅡ、出撃」

 U.C.0079——。
 彼方に帯を描いて明滅する光点の瞬きは、その一個一個が撃沈撃墜される宇宙戦艦や巡洋艦群が発する業火の泡沫だった。
 機関を穿たれ、ブリッジを灼かれ、主砲を潰された艦体が、身もだえしながら爆散する。
 ドズル艦隊とティアンム艦隊の交戦は、地球連邦宇宙軍の圧倒的な攻勢で進んでいるかに見えた。
 しかしそれが、あらかじめ仕組まれたジオン側の芝居であったと気付く連邦側の軍人はひとりとしていなかった。
 火花となって命を散らす数千数万のジオン公国軍人達は、味方の勝利を、未来を信じて散華していく。

 そして、そのジオン勝利の決定打として打たれた布石がついに、動き出す。

 ドズルとティアンムの戦場から離れた宙域で、ジオン軍のパプア級補給艦に搭載されたMS-06Sに搭乗したシャア・アズナブルは、素早い動作で機体の起動を進めていく。
 ルウム宙域のコロニー群に打撃を加え、救援のためにレビル艦隊が一部を割くよう誘導することに成功したシャア指揮のモビルスーツ部隊は、ミランダ近傍から離脱。
 新たな作戦に移行していた。
 もう一方の別働隊、特別強襲大隊の一個大隊は、ガイア中尉が指揮して、戦場へ急行している。シャアとガイアは、各々一個大隊を指揮し、決戦場での合流を目指していた。

 パプアの格納庫内は、素早く補給を終えたモビルスーツ部隊の再発進に伴い、慌ただしさに包まれている。
 先任士官から甲板クルーに発艦配置の指示が飛ぶ。
 ブリッジからは総員に第一戦闘配置が発令され、エアロック開放用意が命じられた。応じて艦内各所では改めて気圧チェックが厳守される。
 応急修理班は発艦時に不足の緊急事態が発生した場合に備え、機材と共に所定の配置にクルーがつく。
 「携行火器のシステムチェック、異常なし」
 「スラスターノズル、バーニアノズル、稼働良好」
 MS-06やMS-05に搭乗した部下のパイロット達のシステムチェックも滞りなく進んでいる。

 自機の起動準備を整えたシャアは、機体の前を横切っていくノーマルスーツを視界に捉えた。
 「中尉殿! シャア中尉殿、ご健闘を祈ります!」
 モニターに映っていたのは、敬礼し、個人的な憧憬を隠さずに通信してくる整備クルーの一人だ。
 歴史に秘されたスミス海の戦いで功績をあげ、独立戦争緒戦での月面都市攻略戦で華々しく活躍した「シャア・アズナブル」は、モビルスーツパイロットとして、開戦ひと月に満たないこの時期にすでに勇名をはせていた。

 パプア艦内に改めて警戒警報が発令される。区画間の気密閉鎖が実行された。

 対艦戦闘装備のMS用バズーカA2型の換装を完了したMS-06Sは、出撃の瞬間を待っていた。
 いよいよだ。
 「発艦する。ハッチを開けろ」
 シャアの声に、ドレンは「艦長の指示が出るまで待って下さい!」と待ったをかけるが、「攻撃隊の指揮官は私だぞ、ドレン少尉」と、シャアの返答はにべもない。
 「私は先行する。デニム、隊を率いて後を追ってこい。出来るな?」
 「了解であります」通信機からデニム曹長が快活に応じた。
 ほんの数刻前、ルウムの首都バンチであるミランダや主要コロニーのドッキング・ベイ閉塞作戦で行動を共にしたデニムは、ミノフスキー粒子の戦闘濃度散布下でも先行する隊長機を見失わずに追従出来る技量をもっている。

 各所のオペレーターの報告で艦内の準備が整ったのを確認したブリッジのドレンは、モニター内のシャアや、背後にいる艦長に聞こえるようにうそぶく。
 「やれやれ、ジオン十字勲章の勇者と組むのは身体に悪いですなあ」
 艦長はムスッとした顔をしつつも仕事として応じる風で、「発艦手順」と指示を出す。
 「よーし、甲板長はクリアランスを確認。発艦手順、はじめぇー!」
 艦首方向を見ながらドレンが号令した。
 その視線の先には、先刻からの帯状の火花が彼方の宙域にまだ瞬いていた。

 パプアの艦首にあるモビルスーツ格納庫のハッチが艦に沿って縦割りされ、さらに左右に開く。
 ノーマルスーツの甲板長とクルーが注視するその先に、真空の宇宙空間が広がり、艦内に付着していた気体分子が微量ながら氷結して霧散した。
 「発進進路確保。各員、対空監視を厳となせ」
 ブリッジからさらに指示が飛ぶなかMS-06Sは、デッキに付属した2本のアームによって艦外へと押し出されていく。
 赤い機体が出てくるのを見届けた艦外のクルーは、素早く艦の構造物で遮蔽される位置に動く。
 慣性で流れていく赤い機体は、全身を宇宙空間にさらすと、バーニアで半時計回りに回転するように姿勢制御する。その機動と噴射に巻き込まれないよう、クルーは退避したのだ。
 ランダムに機体各所のバーニア噴射を細かく刻んで、十分にパプア級補給艦との距離を保った赤いザクは、ランドセルのメインスラスターの推力を試すように少し噴かした。
 と見る間に、一気にノズルを全開にして飛び出していく。

 ルウムの会戦が始まり、しばらくの時間が経過した。
 彗星のような光芒を放ちながら、シャア専用の赤いザクⅡが、星々の間を駆け抜けていく。
 その目指す先は、ルウム宙域外縁から艦隊戦の主戦場へ駆けつけようとしていた連邦宇宙軍の主力、レビル将軍指揮の艦隊群であった。
 ティアンム艦隊が転進したドズル艦隊をロストした情報は、まだレビル艦隊にもたらされていなかった——。

 リミッターを解除された赤いザクの推力が極限まで開放されている。
 想定内とはいえ、凄まじい加速度の加重がシャアの四肢と全身をシートに押し潰そうとする。
 リアクターは出力オーバーで警告を上げるが、かまわず、最大戦闘速度まで推力が引き出されていく。
 やがて——、MS-06Sのコックピット内の正面のモニターに周囲の星々の光と見分けのつかなかった光点の集合域が、光学デバイスの解析によって敵艦隊の艦影として表示されはじめた。

 「これで歴史が変わる」
 シャアは、無防備に進軍するレビル艦隊に、勝利を確信してほくそ笑んだ。

 その日、伝説がついに始まるのだ——。
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