第20回
アルテイシア・ソム・ダイクン=セイラ・マス役

潘 めぐみ


 主人公であるキャスバルの妹、アルテイシア役を演じる潘めぐみさんは、『機動戦士ガンダム』でララァ・スンを演じた潘恵子さんの娘であり、不思議な“縁”によって親子でガンダム作品に深く関わることになった。幼い頃から触れていたガンダム作品に参加することになった感慨や、セイラ役に対する思いを語ってもらった。
—— アルテイシア役と成長した姿となるセイラ役は、オーディションで決まったとのことですが、役をいただいた時はどのように思われましたか?
 オーディションでは、実はアルテイシアとセイラ、その他にもうひとつ受けていた役があるんです。本望としてというか、一役者である潘恵子の娘としては、もうひとつ受けた役にも受かりたかったという贅沢な気持ちもありました。母からも「もし、役を継いでもらうなら、娘であるあなたであれば本望よ」という言葉もいただいていたので、アルテイシア=セイラ役で決まった時には母も驚いていました。私自身、『機動戦士ガンダム THE ORIGIN』(以下、『THE ORIGIN』)のオーディションに受かったことはすごく嬉しくて光栄だという気持ちがありつつも、私情という意味では母の役を継げなかったということにちょっと残念に思う気持ちが混在していました。
とは言え、アルテイシア=セイラ・マスは重大な役どころではありますので、それを演じさせていただく緊張やプレッシャー、というガンダム作品の重力を感じつつ、すごく嬉しい気持ちと感謝の気持ちでいたことは確かですね。
—— アルテイシアとセイラは成長過程のキャラクターですが、オーディションとしては別キャラクターだったのですか?
 アルテイシア役とセイラ役という形で、オーディション原稿は分かれていたので、それぞれの役でオーディションを受けるという形でした。オーディションの際も、アルテイシアとセイラでは違った演技が求められまして。アルテイシアは幼さとあどけなさが残りつつ、純粋であるという感じですね。セイラは成長して自分の気持ちを出しつつも、どこか歯止めをかけているというか、心に何かを抱えているということを意識してオーディションでは演じさせていただきました。
—— オーディションを受ける前の段階で漫画原作は読まれていたのですか?
 読んでいました。最初の『機動戦士ガンダム』のアニメは、幼い頃に触れて、その後に全部観ていました。読み始めるきっかけは、母からも『THE ORIGIN』はアニメ版を補完するような作品だと聞いたからです。そんな物語であるなら、改めてガンダムに触れるいい機会だと思って手に取ったのを覚えています。
—— 原点である『機動戦士ガンダム』のアニメ本編も鑑賞済みで、コミックスも読破していたということは、『THE ORIGN』のオーディションを受けるということに関しては、心構えがかなりできていたことになりますね。
 そうですね。『機動戦士ガンダム』は、常に自分のそばにあり続けた作品でもありますから。ただ、先々の展開も記憶に落とし込んでいる状態なので、演じるにあたって先入観のようなものはありました。とは言え、細部を分かっていないと、アルテイシアの思いをちゃんとセリフにできない瞬間などもあったので、観て、読んでおいて良かったと思います。また、「このセリフを口にするなら、観ていないと失礼だ」という気持ちもどこかにありましたね。やはり、ガンダムというのは特別な作品で、敬意を払っておかなくちゃいけないと感じていましたので。
—— 『THE ORIGIN』のコミックスを読まれた感想はいかがでしたか?
 アニメを観た時から気になっていたキャラクターのバックグラウンドを知ることができたのが印象的ですね。ランバ・ラルとハモンはなぜ一緒にいるのか? ランバ・ラルはそんなに魅力的な人物なのか? シャアとララァはどのように出会って、なぜ一緒にいることになったのか? そういう疑問に思っていた部分が安彦(良和)さんの世界観で描かれていて、すごく感動しました。『機動戦士ガンダム』は各々の戦場での再会から物語が描かれていますが、『THE ORIGN』では、その前に何があったのかが密に描かれることで、それぞれの人物により人間味や人間臭さが増したような気がしました。ニュータイプという概念も、アニメだけを観ていた時は特別視していたものが、どこか人間臭いというか、身近に感じることができる。そうした作品だと思いましたね。
—— 安彦さんや監督の今西(隆志)さんから、アルテイシアとセイラを演じるにあたって何かお話はありましたか?
 事前にそういうお話はしていませんでした。収録が終わってから「お話をしておけば良かった」と思いましたが。オーディションを受けた時の気持ちをもちつつ、自由に演じさせていただき、収録中には音響監督の藤野(貞義)さんを通して安彦さんや今西監督のディレクションを聞いていたのかもしれませんが、直接お話はしていないんです。
 第1話のアルテイシアは、幼い少女ということで、本当に素直に感情を出せばいいというか。嬉しさ、悲しさ、怒りなど素直に出していいと思っていたので、何も考えずに演じることができたと思っています。実際に、演じていても特にディレクションが入ることはありませんでした。
 そういった意味では、第2話のセイラの方が難しかったです。どうしても作品の世界観を考えると、経験の厳しさから成長して見えるビジュアルというか、風格も含めて、実年齢の10歳よりも大人なのではないかと思ってしまって。最初に演じた時は、そこを意識し過ぎていました。そのためか、大人っぽく演じてしまっていたんです。ですが、そこに対して藤野監督からは「まだ幼くていい」という、大人になり過ぎないように気を付けて欲しいとディレクションをいただきました。
—— 劇中でのセイラの成長や変化は意識されましたか?
 成長過程はあまり意識していなかったですね。環境や事件によって成長せざるを得ない状況が作られていったので、自分で変えていくということはあまりせず、逆に周りのみなさんとのお芝居や、やり取りで変わっていったというか、影響を受けていたなというのは感じました。成長したキャスバルはどんどん研ぎ澄まされていく感覚がありますが、アルテイシアは変わらないことが作品にとっての良心だったりするのかなと思っていた部分もあります。キャスバルが大人たちからの目や感情を察知する能力があるのに相反して、アルテイシアは自分の気持ちやお母さんへ馳せる気持ちを大事に思っているので、2人は近くにいるけど心はどんどん離れていってしまっているなという感覚はありました。
—— 今回、セイラを演じるにあたって、最も意識した部分はどのような部分ですか?
 セイラ自身の心の揺らぎの部分ですかね。セリフの中でキャスバルを呼ぶということに関しても、「お兄さん」であったり、「エドワウ兄さん」という感じで呼び方が一定していなくて、最後の別れのシーンでは「キャスバル兄さん」と呼ぶんです。そうした部分の表現には気を配りました。アルテイシアは、セリフで「私は、セイラ・マス」と言っているように、環境に合わせてアルテイシアからセイラになろうと努めていたんだろうなと。でも、キャスバル兄さんと一緒にいる時だけはアルテイシアと呼ばれて、アルテイシアでいられる瞬間であり、たった一人の家族で、唯一心を許せていたのだろうなと。そうしたキャスバルとの関わりの部分に関しても意識しました。
—— 演じた中で、気に入っているシーンはどこですか?
 「哀しみのアルテイシア」というサブタイトルの通り、アルテイシアにはいくつもの別れがやってくるんですよね。母の死、愛猫ルシファの死、そして兄との別れ。中でも、ルシファの死に関しては心に残っていますね。いろんな苦労をしてきたアルテイシアの気持ちを、ルシファはずっとそばで感じてくれていたような気がするんです。「どうしたの?」とアルテイシアの顔を見上げる仕草ひとつとってもそういうことが感じられて。アルテイシアの立場からすれば、愛猫をいろんな場所に連れ回して、いろんな重力を感じさせてしまったなとも思っていまして。あの変化は、猫の小さな身体にとっては苦しいことだと思うし、一番身近にいるペットだからこそ飼い主の影響も受けやすいと思うので。「ルシファが今、変な息をしました。ルシファももう歳です」というセリフは、その後のことを知っているからこそ泣きそうになってしまいました。アルテイシアにとって、ルシファの死は、お父さんの死を実際に目の当たりにしてしまったときと同じような、命の終わりを改めて実感してしまうターニングポイントだったんじゃないかと思うシチュエーションなので、とても印象深いですね。
—— 今回は、出番も多く、さらには池田秀一さんとの共演となったわけですが、緊張はされましたか?
 ずっとマイクの前で隣に立たせていただきながらセリフを喋っていたので、緊張をしている余裕はありませんでした。ただ、エドワウを演じる池田さんの隣にいられる嬉しさと緊張感というのはありましたね。アルテイシアはずっとキャスバルに守ってもらって手を引っ張ってもらって、その後ろを常に追いかけていたと思うのですが、私にとっての池田さんもそういう存在でして。どこか守っていただいているし、時には「行くよ、めぐちゃん」と手を引いて導いてもらっていますし。素晴らしい先輩として常に追いかけている存在でもあるので、私が池田さんに馳せる思いはアルテイシアがキャスバルに抱いている思いと一緒なのではないかと。
 緊張という意味で言えば、池田さんが演じるエドワウと関(俊彦)さんが演じるシャアが出会うシーンはドキドキしましたね。間の取り方の演出に緊張しつつ、実際の収録の時もお二人に挟まれる形で演じていたので、「2人のシャアに挟まれる。こんな経験は2度とないかも」と、今までにない緊張感を味わいました。
—— 池田さんとは、お母さんの潘恵子さんと共にお友達でいらっしゃるそうですが、いつ頃お知り合いになったのですか?
 初めてお会いしたのは、私が仕事を始める前の高校生くらいだったと思います。ちょうど、一年戦争のセイラくらいの年齢の時に池田さんにはお会いしていて、トークイベントで池田さんが当時のことを振り返って「あの時、すでにアルテイシアには出会っていたんだね」と仰っていただいて。こうして一緒に仕事させていただけるという縁に運命を感じていますね。今回も、アフレコ中は隣に座らせていただいて、一緒にいる緊張感と安心感の中で収録させていただいたなと思っています。
—— 改めて、第1話と第2話について感想をお願いします。
 主題歌の話になってしまうのですが。第1話「青い瞳のキャスバル」の主題歌がアルテイシアの思いを歌った曲だったんですね。その内容に関して第2話を観てすごく納得しました。そして、第2話は「哀しみのアルテイシア」と言いつつも、主題歌はキャスバルであり、赤い彗星である彼の思いを歌った曲になっているんです。主題歌は、次のストーリーに向けた形になっていて、第1話の主題歌から第2話のアルテイシアの物語に繋がり、第2話の主題歌はきっと第3話のキャスバルがシャアになる物語に繋がっていくんだろうなと。そういう意味では、主題歌を含めた物語全体が人物に寄り添った物語になっているなと感じました。きっと、第3話を観ればサビの部分で語られる「永遠の赤を纏う」の意味も判ってくる気がします。
 その他にも、セリフで第1話のガンタンク初期型に乗ったキャスバルが暴走した時に「やめてお兄ちゃん!」、「かわいそう」というセリフがあるんですが、そのセリフは第2話でも引き継がれていて、セイラがテキサス・コロニーで暴走するエドワウと止める時のセリフに加えて、立場や状況の違うミライからエドワウとセイラに対して「かわいそう」という言葉をかけるシーンがあって、そうしたセリフの交差する業の深さは、第1話と第2話を合わせて観ることで感じることができるので、ぜひ第2話を観たら第1話を見返して欲しいなと思います。
—— では、最後にファンにメッセージをお願いします。
 『THE ORIGN』という大きな作品に携わるにあたって、『機動戦士ガンダム』を改めて拝見したのですが、私も運命や“縁”みたいなものを凄く感じました。今後は、『THE ORIGIN』をたくさんの方に観ていただいて、そこから“縁”や運命が、作品を通じてたくさんの世代に繋げていけたらと思っていますので、引き続き応援をよろしくお願いいたします。
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